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各方面で活躍する卒業生

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安藤美希子

にんげんこれたから

FAコンサルティング株式会社勤務

安藤美希子
(平成国際大学 第16期生)

【あんどう みきこ】

佐藤栄学園で学んだこと

 私は現在FAコンサルティング株式会社という、不動産に関連した会社で仕事をしています。
 仕事は、会社まで通勤後日常業務をするのではなく、競技のために練習を行い試合で結果を残すことです。その他に企業・学校での講演会やパーソナルトレーニング指導も行っています。

 現在の仕事に繋がるウエイトリフティングという競技に出会ったのは埼玉栄高校に入学してからです。
 当時は名前もどのようなスポーツかさえ全く知りませんでした。そんな状態から始めたウエイトリフティングでしたが、日々の練習が楽しく、記録が向上し成長する自分を実感できることに喜びを感じながら過ごしていました。自宅から学校までの2時間半という通学時間が苦にならないほど、毎日が充実していたように思います。

 もちろん部活が楽しいという理由もありましたが、埼玉栄高校で経験した様々な行事やたくさんの先生方と関わりあえたことも大きく影響していたと思います。スキー実習、遠泳実習、体育祭、文化祭、ダンス発表会など、どの行事を振り返っても友人や先生とのやりとりが思い出されます。

 同じように、大学4年間も毎日の練習が苦ではなく充実していたのは高校までとは異なる授業内容や教授である先生方との交流のおかげだったと思います。特に大学4年時には大学対抗大会(通称インカレ)で団体優勝という思い出深い結果を残すことができました。
 私にとってウエイトリフティングという競技は、高校そして大学を卒業するまでに練習や試合だけではなく、たくさんの出会いをもたらし、そして多くのことを私に学ばせてくれました。

 学校の先生、教授、監督や先輩方にご指導いただきながら過ごす高校3年間、大学での4年間は協調性や他者との接し方など、人間性を学ぶ貴重な時間でした。ここで得た経験や出会いが、今も大きく影響していることは間違いありません。現在はコロナ禍にあり、世界的に見てもとても厳しい状況が続いています。私もその影響を受けた一人です。

 本来であれば東京オリンピックが開催されているはずでしたが、1年延期となりました。リオオリンピックに続き2大会目の出場とメダルを目指していますが、精神的にも体力的にも非常に難しい状態であることは事実です。
 しかし、苦しいなかでもいかに楽しく、自分が好きな競技をして過ごすことができるかを考えています。365日ウエイトリフティングを楽しんでいるかと言われるとそうではありませんが、このように前向きな考え方ができる根底にあるのは、学生時代の経験や出会った皆様からいただいた言葉ひとつひとつを胸に刻み込んできたからかと思います。

 現在、昨年までとは違う授業形態、イベントや行事の中止など戸惑いも多いでしょうが、限られた時間にある学生時代を彩りある思い出で埋めていってください。きっとそれがいつか自分を支えてくれる大きな糧となるのではないでしょうか。

根元俊一

にんげんこれたから

千葉ロッテマリーンズ

根元俊一
(花咲徳栄高等学校 第18期生)

【ねもと しゅんいち】

佐藤栄学園で学んだこと

 私は1999年に花咲徳栄高校に入学しました。現在は千葉ロッテマリーンズで一軍守備走塁コーチをしております。

 私の今までを振り返ってみると、多くの素晴らしい出会いがありました。
 高校進学時には、強豪校で野球をやるなどとは考えてはいませんでした。私の中学時代のチームメートを当時の花咲徳栄高校の稲垣人司監督が、岩井隆コーチ(現監督)と一緒に見に来られたのです。
 そこで岩井コーチに声をかけられたことが、花咲徳栄高校に入学するきっかけとなりました。入学して、野球部に入って驚いたのは同級生たちのレベルの高さでした。一緒に打撃練習をしていて、自分の打球が内野を越えるか越えないかくらいで、恥ずかしく感じたのを覚えています。

 そんな中でも、岩井先生は私につきっきりで指導をしてくださいました。
 意気に感じて練習を頑張り、一冬越えると、打撃がよくなり自信につながりました。また、野球だけでなく、大勢の前で緊張しないでいられるように生徒会の会長への立候補も薦めてくださり、生徒会長を務めるという経験も積めました。
 練習試合中に稲垣監督が亡くなられ、岩井先生がコーチから監督になられた年に、第83回全国高等学校野球選手権大会に、学校としても初めての甲子園大会に出場することができました。このときに埼玉栄高校から手伝いにきてくださったのが花咲徳栄高校の現校長の田中一夫先生だったことにも、何かの縁を感じます。
 甲子園への出場は花咲徳栄高校に入学することがなければ経験できなかったことだと思います。

 大学は岩井監督の母校でもある東北福祉大に進学しました。ここでも山路哲生監督に出会い、起用していただき、第53回大学野球選手権で優勝することができました。

 2005年の大学生・社会人ドラフトでロッテから3巡目で指名を受け、千葉ロッテマリーンズに入団しました。
 プロ3年目に、110試合出場し、打率2割9分6厘という好打率でシーズンを終えましたが、翌年に、アメリカから帰国した井口資仁選手(千葉ロッテマリーンズ監督)と二塁のポジション争いをすることになり、練習に励んだのも良い思い出です。シーズンを終える度に、母校の岩井監督に挨拶に訪れると、「いよいよ今年は引退か?」などと言われたりもしていましたが、昨年ついにそれが現実となりました。
 しかし、岩井先生に「13年も現役でやれたのはすごいことだ」と言われたのは嬉しかったです。自分としてはそれほどの成績を残せたとは思っていなかったので、引退試合やセレモニーの機会ができるなどとは思ってもいませんでした。このような機会を与えてくださった球団には感謝しかありません。
 セレモニーで大観衆を前に話す機会をいただきましたが、ここでも高校で生徒会長をやった経験が役立ったと思います。岩井先生に声をかけていただいて、花咲徳栄で野球をやったからこそ、今の自分があるのだと思います。
 花咲徳栄高校で学んだことを原点として、新たなステージでの一歩を着実に踏み出していきたいと思います。皆さんも一つひとつの出会いと毎日の積み重ねを大切にして、学校生活を送ってください。

小杉亮一朗

にんげんこれたから

千葉商科大学商経学部教授
大学院経済学研究科長
大学院商学研究科経済学コース長

小杉亮一朗
(栄東高等学校第 14期生)

【こすぎ りょういちろう】

アクティブ・ラーニングに参加して

 私は、企業や金融に関する様々な法を教えています。千葉商科大学を中心に、首都圏の国公私立大学で講義をしてきました。商科大学は、社会科学の総合大学として、公認会計士・税理士・中小企業診断士・簿記・会計等の実学教育に力を入れています。また、自然エネルギー 100%大学やSDGsの推進にも取り組んでいます。スポーツでは、NHK杯争奪全日本ボウリング選手権大会準優勝、千葉県大学野球2部秋季リーグ優勝等、佐藤栄学園出身者が功績を残してくれました。

 栄東中学校のキャリアAL「ジョブ・コンテンツ」の講師をつとめました。恩師と高校の卒業生が再会し、教室で職業を紹介する催しです。まずは、ゼミ、サークル活動、文化祭、春夏の休暇等、大学の様子を知ってもらおうと思いました。次に、大学教員をめざす大学生がどのように学び、大学院へと進学してゆくのか説明しました。最後に、研究対象になりそうな話題を二つほどあげて、一緒に考えてみました。一つ目は「クラウド・ファンディング」です。インターネット経由でアイデアを発信し、共感した人々に、少しずつお金をだしてもらいます。1億円を集めて月にロケットを打ち上げ、アニメの一場面の実現を目指したり、商品開発を目標に掲げたりとさまざまです。二つ目は、証券市場における不正とその規制について考えてみました。

 多くの方が来校し、講義内容も多様でした。学生は講義をよく理解し、関心を寄せてくれたのではないでしょうか。先生方の丁寧なご指導もあったのでしょう。教室では、中学生らしくて可愛らしいとほほえんでおりましたが、感想文はとてもよく表現することができていました。家族と感動しながら読みました。学生は勉強を、私は仕事を明日に残すことなく、当日は校訓を実践することができたと思います。アクティブ・ラーニングを通して、私も学ぶことがありました。学生のように、もう少しおおらかに希望をもっても、よいのかもしれないと思いました。いつの間にか、目の前のことにとらわれ、視野が狭くなっていたように感じます。

 紙幅の都合上、全ての先生のお名前をあげて、お礼を申し上げることができません。卒業後も、なにかとお声がけくださる坂柳先生、根岸先生、学園の教職員の皆様に、深く感謝いたします。卒業後のわたしの体験が、多少の道標になることがあれば幸いです。在校生の皆様が納得のゆく進路決定をし、明るい未来を切り開くことができますように。